天使なんかじゃないけど

2月の下旬に、友だちと4人で北海道へ流氷を見に行った。改めて友だちと記すのは、なんだかとても恥ずかしいね。

 

初めてわたしたちの間に流氷を見に行こうという話が出たのは確か去年の6月で、佐渡島への旅行から帰ってきてしばらくしてのことだった。流氷が見られる季節は、まだ半年以上先で、そんな未来の話を当たり前みたいにされて、ほんとうにうれしかった。(そして、少し苦しかった)

それからずっと、その夢みたいな計画のことを思っては、ほんとうはわたしはもう死んでいて、このうそみたいにたのしい日々はわたしの妄想なんじゃないか、ってそんな馬鹿なことを考えていた。

実のところ、別に流氷に興味があったわけじゃないし、流氷以外になにか目的があった訳でもなかった。でも、冬の北海道に憧れはあった。だって、わたしは天使になりたかったから。

 

結局わたしは天使なんかにはなれないまま、年が明けて、年が明けてからはちょっとしんどい日々が続いて、やっぱり、北海道には行けないのかもしれないなと漠然と考えていた。やっぱり夢だったんだって思った。そういえば年明けに引いたおみくじの旅行の欄には、「日を改めれば良し」って書いてあったなと思って、絶望したりしていた。でも、ほんの少し、行けなくてもそれでいいやみたいな気持ちもあった。わたしにとって大切だったのは、実際に北海道へ行ったかどうかではなくて、少し先の未来の話をしてくれた人がいたという事実だった気がするから。

 

それでもなんとか北海道へ行くことが実現した。夢みたいだと思っていたことが現実になって、現実が現実であることが簡単には受け入れられなかったので、困ったね。

1日目は色々あったけれど、無事北海道へ着いて、2日目のお昼すぎ、流氷を見た。船に乗ってすぐに、辺り一面が真っ白になって、わたしは、随分遠くまで来てしまったのだなあと思った。1人だったら絶対に来られない場所だったし、一生見ることの無い景色だった。真っ白で、どこまでも続いていて、境界が曖昧で、天国みたいだと思った。これは秘密だけれど、少し泣いた。

 

3日間、ずっと楽しかった。わたしは子どもの頃からよく、素直じゃないとか、感情がわかりにくいとか、静かだとか、そんなことを言われてきたのだけれど、この一年で随分と変わったなと思う。こんなにも感情を表に出すことを厭わずにいられる瞬間があるのだということに自分でも驚く。『天ない』のマミリンは、きっとこんな気持ちだったのだろうな。

 

帰りの飛行機で、これからの人生であと何回こんなに良い思いができるだろうか、と考えていた。なんて贅沢なことなのだろう。

帰ってきてからというものの、ことあるごとに写真を眺めては、こんなにも満たされていた瞬間が確かにあったのだな、夢ではなかったのだな、と思って、少し泣きそうになっている。いちいち重くてもうしわけないけど、生きててよかったなと思ったよ。

 

天使なんかじゃない、天使にはなれないけど、

春に憧れている。わたしは、春になりたい。

 

春は暖かくて、柔らかくて、心地良くて、みんなに平等に春だ。春が来ると世の中の人間たちが浮き足立って、楽しそうにする。だけどわたしは春が好きじゃないから、ちっとも楽しくなんてなくて、にこにこしたみんなのことを横目で見ながら、ただただじっとして、春をやりすごすほかない。

悲しくて、情けなくて、とてつもなく恥ずかしい。

 

どうしたら春のことをすきになれるのだろうと、もう何年も考え続けてきた。でもそんなことは無駄で、春が来るたびに気持ちが落ち込む。嫌だと思うから、嫌なことばかりが記憶に刻まれて、いつまでも胸の奥にざらりと残り続ける。

 

あと何回、眠れない4月3日から4日の夜?朝?を過ごさなければいけないのだろう。死ぬまでずっとなのかな。

たぶん高校生のときは、朝まで眠れないなんてことはことは無かった。だとすればここ5年くらいのことになる。眠ってしまえば朝が来て、朝が来れば明日が来て、明日が来たら、わたしは誕生日の一日が終わるまでは誕生日なのだから困る。

どこかへ出かければ、周りを見て自分がひどく惨めに思えるし、家でじっとしていると虚しくてたまらないし、家族と関わると萎縮してしまう。他人には迷惑をかけられないから、一緒に過ごして欲しいなんて言えない、言わない。嘘、言うけど、巻き込んでごめんねって思う。わたしの人生にあなたを巻き込んでごめんなさい、あなたの人生にわたしが登場してごめんなさい。誕生日のことになると、どうしてこんなふうになってしまうんだろう。

 

春の似合う女の子になりたい。

暖かくて、柔らかくて、心地の良い女の子。そんな女の子だったら、春のことをすきになれたのかな。誕生日をえがおで過ごせていたかもしれない。

春のことをすきになりたい、春の似合う女の子になりたい、春になりたい。どの望みも叶わないから、春が憎い。

 

 

早く春が終わりますように。

(あるいは、春のことがほんの少しでも愛おしく思えますよう。)

 

 

ヒント:「結婚」2

その1- 夢

子どもの頃、わたしはお姫様になりたかった。特別で、キラキラふわふわしていて、かわいくて、ドレスを着たお姫様に憧れていた。

だけど、わたしはわたしがお姫様になれないことを知っていたから、せめて、お嫁さんになりたいと思った。誰かにとっての特別で、かわいくて、ウエディングドレスを着たお嫁さん。

妥協と言われればそうなのかもしれないけど、夢見がちだったわたしが唯一見た現実だった。

どれくらい一生懸命生きたら、すきだと思える男の人に、すきだと思ってもらえるんだろう。判定が甘すぎると思うけど、わたしはじゅうぶん一生懸命生きてきたと思う。女の子らしくしろと言われたら誰よりも女の子らしくしたし、勉強をしろと言われたら(一瞬だけ)望まれた程度の結果を出したし、人前で泣くなと言われたから誰の前でも泣かずに生きてきた。まだまだ足りなかったんだろうか、足りなかったんだろうな。

もっと一生懸命生きたわたしには、すきなひとと結婚できる、夢みたいな未来が用意されていたのかな。考えるだけ無駄だね。

 

その2 - 愛

愛は、距離だと思う。

わたしは人が苦手だから、できるだけ人と関わりたくないなあと思っていて…というのは、嘘。わたしは大切なものを大切にしすぎる。こんなだから、なにも出来ない、してあげられないのに大切にしすぎてしまって、いつも取り返しがつかなくなる。暴力みたいだ。大切にすることは愛だけど、大切にしすぎることは愛じゃない。

嫌な思いをさせないこと、お互いが自由であること、自分と相手の境界線がはっきりしていること、愛には条件が多すぎる。難しい。でも、その条件を増やしてきたのはわたしだ。

どうして人間は大切な人と一緒に暮らそうとするのだろうと思う。一般的に、人間は相手の中の自分の優先度が高いと嬉しくて、低いと悲しい気持ちになる。一緒に過ごす時間が長ければ長いほど、というか、様々な状況で相手と関わるほど、常に自分の優先度が一番なわけじゃないということを知ってしまいませんか。そりゃ仕事が忙しければ仕事の優先度は上がるし、疲れていれば休息の優先度があがるよね。でも世の中の人達はそういう相手を責めたてて「自分を大切にしてくれない!」って怒ってるような気がする。そう見える。それって愛じゃないよ。悲しい。相手を素直に大切にできる時間だけ一緒にいるのじゃだめなのかな?

わたしは、大切な人を傷つけたくないし、傷つきたくない。傷つけてしまったと悲しい思いをさせたくない。だから、少し離れたところから相手のことをみていたいよ。寂しそうだったらそばにいさせてほしいし、1人にしてほしそうだったらその場から離れたいし、相手にもそうして欲しい。そういう愛を、わたしはやりたい。

 

番外編 - 他者なしではしあわせになれない

ひとりでいるのがすきだ。ひとりでいるときは心地が良い。でもその心地良さは、気楽さであって、しあわせじゃない。

しあわせだな、と思うとき、必ずそこには誰かがいる。わたしはいつも誰かにしあわせにしてもらってるし、誰かに何かを捧げることでしあわせを感じてる。わたしひとりじゃしあわせになれない。

なんだってする、なんでもできるようになる、絶対に大切にするし、望むような愛をするから、結婚してくれませんか。

他人に恋愛感情を抱いてしまう自分は醜いと思う。

きっと上手くいかない、たとえ上手くいったとしても一瞬だろう、そのあと周りの人も巻き込んで気まずくなるんじゃないか、そんな結末が見えているのに抑えられない感情が憎い。

わたしは単純だから、会えたら嬉しいし、もっとすきになる。会えなかったらその分だけ表層的な部分は薄れていく。だから月に1回以上の頻度で人に会うのが怖いし、人と会わないで過ごせることに安心する。

流行病の影響で、定期的に会ってたともだちとも3ヶ月ほど会わなかった。女の子とも、男の子ともね。会わないということは、相手にとってもわたしが更新されないままだから、今以上に嫌われることは無いんだろうと思った。どうせ誰にも好きにはなってもらえないから、ちょうどいいと思った。

わたし自身の環境が変わってから1年が経って、この1年を思い返してみたけど、わたしはずっとしあわせだったなと思う。以前よりもずっと穏やかで、優しい気持ちで生きていられた。自分の中にこんな感情があるんだという驚きもあった。決して誰かに褒められるような生活ではなかったけど、わたしは満足でした。

そしてここまで考えて、わたしは、わたしが満足するためだけに周りの人にそうさせてしまっていたのかもしれないというところに行き着き、やっぱり醜いなと思ったのでした。

 

会わないからって薄れていくのは結局表層的な部分だけで、薄れていくとは表現したけれど、そういう事じゃなくて、リセットする時間があるから理性を保ち続けられるとかそういうことなんだろうな。

夢は欲求のあらわれですか?夢はインターネットに似ている、って映画で言ってた。くるしいね。

ヘクとパスカルの『ぼくら』という曲が好きだった。初めて聴いたときわたしは高校生で、「ハタチになって更に2年2ヶ月」が過ぎるころ、自分はどんな人間になっているだろうと想像した。

何も出来ないまま時間だけが過ぎて、あっという間に22歳の6月4日が来た。『ぼくら』の歌詞の通り、わたしはどこにも辿り着けていなかったし、誰にも出会えてなかった。

 

話は変わるけど、妹の中学・高校の同級生が、一年間休学した大学を辞めるかもしれないらしい。大学の内外どこに居場所を作っても、1番になれることが何も無く、自分以外のみんなが特別に見えてきて、自分は何ものにもなれないんだと心が折れたということだった。

わかるな、と思った。わたしはずっと、わたしは特別なんだと思ってた。だけど結局どの分野においても自分が特別に優れているということはなく、かといって「普通」にも馴染めず、自分は特別ではないということを認めるまでに長い時間がかかってしまった。

 

どうしてみんな、わたしもだけれど、何者かになろうと必死になるのだろうと思う。そして、何者にもなれないことに絶望してしまうのだろう。

わたしの周りで、唯一無二の存在になっている人が何人いるのか数えてみる。そんな人はほとんどいないし、わたしに特別になるように教えてきた自分の親だって、何も特別なものは持ってない。

だけどみんな、どこに辿り着けず、誰にも出会えない人生に心折れて、ただの大人にしかなれなかったことを不幸だと嘆いたりする。

 

何者にもなれないということは、ほんとうに不幸なのですか。

みんなそんなに何かにしがみついたり、必死になったりしなくていいのに、と思ったりする。

せめて、わたしのまわりの人たちだけでも、なるべく苦しまずに生きていけたらいいのになと思う。

苦しみは人それぞれだから、どうしたら苦しまずに生きていけるかなんてことはわからないけど、何者にもなれなくても、夢を叶えられなくても、子どものころ思い描いていた未来にたどり着けなくても、苦しくなったらおやすみして、必要のない努力はせずとも、気楽に生きて行けたらいいのにな。

最近感じたこと

⒈ 将来の夢

フリーターをしてると、なにか目標があるの?とか、そういうことをよく聞かれる。

実際わたしのバイト先には、学費を貯めて専門学校へ行くためにフリーターをしているとか、舞台俳優になりたいから融通の効くフリーターでいる人とか、将来的には家業を継ぐけどそれまではフリーターをすることにした人とかがいる。みんな次のステップに進むためにフリーターを選択してる。

一方わたしは、何もありません。何も考えてないわけじゃないけど、何もない。

将来の夢はありますか?って聞かれたら、すぐにないって答える。でもほんとはあります、言わないだけで。もうわたし23歳だから、叶わないことを知ってるから、ないって答えてる。

子供の頃からずっと変わらないです。多分これから先も変わらない。

わたしの聖書には「夢が叶う事と 幸せになる事は、どうして別ものなんだろう。」と書かれてる。夢が叶ってもしあわせになれるかわからないんだったら、今のままでいいのかなと思う。

死ぬまでひとりで夢見て生きてこうね。

 

⒉ 元・同級生が卒業した

中学の同級生の皆さん、高校の同級生のみなさん、大学の同級生の皆さん、卒業おめでとうございます。(?)

どこにも引っかからずに生きていれば、わたしは今年4年制の大学を卒業して、春から新社会人になるはずだった。だけどわたしは高校卒業後、2回進学して2回とも中退してしまった。

今のところ、後悔はしてない。この人生である限り、どのタイミングで、どんな学校に進学したとしても卒業はできないって思うから。だけどこの先、高卒だから、中退してるからという理由で選べない選択肢が出てきたとき、多分とっても落ち込むんだろうなと思う。でもそれはどうしようもないんだと思う。

そもそも中学だって高校だってまともに通えていなかった。大人の人に説明したところで理解してくれる人はほぼいなかったし、そういう子だと思われる方が圧倒的に楽だった。

だけどやっぱり高校卒業以降の環境はそれを許してくれなかった。そりゃそうだよね、それが社会。

毎日毎日ぐったりして、それでも学校に行って、サボりだと決めつけられて、否定することさえ諦めて、でも病院に行けば原因不明で片付けられて、結局わたしが悪いんだと落ち込んで、そういう生活に完全に疲れきっていた。

学校をやめたら嘘みたいに体調を崩さなくなった。毎日頭痛に苦しんで、電車に乗れば吐き気と腹痛に襲われて、月に1回は40度近い熱が1週間おさまらなくて、どうにもならないと思ってた不調が全部なくなった。肌荒れもしなくなったし、精神も落ち着いてきた。長い悪夢でも見てたのかな〜。

学校に行かなくていいというのがこんなにも救いになるのかと思った。あんなに悩んでたのに、バカみたいだなと笑えてしまう。なんでこんなふうになっちゃったんだろうね〜。

普通に中学も高校も卒業して大学も卒業して、そういう人生が歩めるなら歩んでみたかったです。本当は普通に卒業できてたらよかったな〜と思います。でも、やっぱりできなかったと思う。

本当にみんなのことを、すごいなと思う。毎日学校に行くことを4年も続けられたことも、勉強をきちんとしたことも、ちゃんと大学を卒業できるってほんとうにすごいことなんだと思う。本当にすごいです、偉いです。卒業おめでとうございます。

 

⒊ 見下されていないと苦しい

大切にされたいですか、されたいですよね。わたしは、すきなひとに女の子として誰よりも大切にされたいです。されたいけど、されなくていいです。気持ち悪いし、心地悪いので。

わたしは父のことが本当に嫌いで、本当に憎い。父の存在そのものがトラウマなんだと思う。父と離れたところで暮らしていても、小さなきっかけで父のわたしに対する言葉を思い出して、そのまま良くない思考をぐるぐる繰り返してしまって抜け出せなくなることが多々ある。だけど全ての関わりを拒否するほどにはなれなくて、多分、何か少し期待してるんだと思う。もうわたしも大人だし、今までとは環境が変わったし、わたしのこと認めてくれるんじゃないかって思って、関わってみて、毎回後悔する。バカみたいだな〜、やめればいいのに。

子供の頃からずっとずっと認めてもらえなくてほんとうに悲しかったし悔しかった。この人に育てられてしまったんだな、と悲しくなるときがたくさんある。でもやっぱりお父さんはお父さんだし、認めてもらえたらと思う。ずっとその繰り返し。

否定されることに慣れてしまったのかと言われると、多分そんなことは無い。否定されるとつらい。誰にされても1人でひっそり泣いてる。けど大切にされると気持ち悪い。優しくされると居心地が悪い。逃げ出したくなる。

大切にされたいのに、いざそういうことになるとその人の存在が気持ち悪くて気持ち悪くて仕方なくなる。嬉しいはずなのに、最初は確かにめちゃくちゃ嬉しいんですけど、その舞い上がった気持ちがあるとき急に冷めて、もうその人を拒否してしまう。

どうしたらいいですか?どうしたら自分のことを大切にしてくれる人を大切にできますか。

見下されていないと気持ち悪くて仕方がない。でも見下されすぎると拒否された気持ちになるからそれはダメなんです。

にこにこして会話してる中に少し「あ〜この人わたしのことを下に見てるんだな」という言葉を見つけると安心する。そうであるべきだと思ってしまう。

本当にどうしたらいいですか。普通がよかったな。これは多分一生なおらないんだろうなと思う。すきなひとに大切にされて、わたしもその人のことが大切で、そんな関係になれるわたしがよかった。今も昔も、わたしは誰かのおひめさまになりたいです。かわいいお嫁さんになりたかった。

今日もわたしは自分で自分のために買ったウェディングドレスを眺めながら眠るね。

夢をみた。その夢のことを思い出してしまって涙が止まらなかった。

とても静かな声で喋るのも、夢に出てきた女の子のことを忘れられないとか、いつかの夜のことをことを大切そうに話すところも、ぜんぶぜんぶだいすきで大切だった。

この世界には私たち2人しかいないんだって思わされるほど静かな時間を何度か過ごして、それに何度か奇跡のようなことが起きて、わたしたちの時間はそれだけだったけど、長い夢のような柔らかさだった。

きっともう一生会えない。もう一生会えないから、もうずっと、きっと死ぬまでたいせつなままで、忘れられないんだと思う。

わたしは変わったなと思った。こうやってどんどんいろんなことが変わっていく。でも、あの日のまま変わらない距離感でわたしたちの関係はずっと変わらないのかな、変わらないといいな。複雑なことは全部忘れて、今まですごしてきた時間の話をしてほしい。

記憶からわたしのことが消えてしまっても、あの日あなたが読んでいた本の題名だけは忘れないでね。