ヘクとパスカルの『ぼくら』という曲が好きだった。初めて聴いたときわたしは高校生で、「ハタチになって更に2年2ヶ月」が過ぎるころ、自分はどんな人間になっているだろうと想像した。

何も出来ないまま時間だけが過ぎて、あっという間に22歳の6月4日が来た。『ぼくら』の歌詞の通り、わたしはどこにも辿り着けていなかったし、誰にも出会えてなかった。

 

話は変わるけど、妹の中学・高校の同級生が、一年間休学した大学を辞めるかもしれないらしい。大学の内外どこに居場所を作っても、1番になれることが何も無く、自分以外のみんなが特別に見えてきて、自分は何ものにもなれないんだと心が折れたということだった。

わかるな、と思った。わたしはずっと、わたしは特別なんだと思ってた。だけど結局どの分野においても自分が特別に優れているということはなく、かといって「普通」にも馴染めず、自分は特別ではないということを認めるまでに長い時間がかかってしまった。

 

どうしてみんな、わたしもだけれど、何者かになろうと必死になるのだろうと思う。そして、何者にもなれないことに絶望してしまうのだろう。

わたしの周りで、唯一無二の存在になっている人が何人いるのか数えてみる。そんな人はほとんどいないし、わたしに特別になるように教えてきた自分の親だって、何も特別なものは持ってない。

だけどみんな、どこに辿り着けず、誰にも出会えない人生に心折れて、ただの大人にしかなれなかったことを不幸だと嘆いたりする。

 

何者にもなれないということは、ほんとうに不幸なのですか。

みんなそんなに何かにしがみついたり、必死になったりしなくていいのに、と思ったりする。

せめて、わたしのまわりの人たちだけでも、なるべく苦しまずに生きていけたらいいのになと思う。

苦しみは人それぞれだから、どうしたら苦しまずに生きていけるかなんてことはわからないけど、何者にもなれなくても、夢を叶えられなくても、子どものころ思い描いていた未来にたどり着けなくても、苦しくなったらおやすみして、必要のない努力はせずとも、気楽に生きて行けたらいいのにな。