ヒント:「結婚」2

その1- 夢

子どもの頃、わたしはお姫様になりたかった。特別で、キラキラふわふわしていて、かわいくて、ドレスを着たお姫様に憧れていた。

だけど、わたしはわたしがお姫様になれないことを知っていたから、せめて、お嫁さんになりたいと思った。誰かにとっての特別で、かわいくて、ウエディングドレスを着たお嫁さん。

妥協と言われればそうなのかもしれないけど、夢見がちだったわたしが唯一見た現実だった。

どれくらい一生懸命生きたら、すきだと思える男の人に、すきだと思ってもらえるんだろう。判定が甘すぎると思うけど、わたしはじゅうぶん一生懸命生きてきたと思う。女の子らしくしろと言われたら誰よりも女の子らしくしたし、勉強をしろと言われたら(一瞬だけ)望まれた程度の結果を出したし、人前で泣くなと言われたから誰の前でも泣かずに生きてきた。まだまだ足りなかったんだろうか、足りなかったんだろうな。

もっと一生懸命生きたわたしには、すきなひとと結婚できる、夢みたいな未来が用意されていたのかな。考えるだけ無駄だね。

 

その2 - 愛

愛は、距離だと思う。

わたしは人が苦手だから、できるだけ人と関わりたくないなあと思っていて…というのは、嘘。わたしは大切なものを大切にしすぎる。こんなだから、なにも出来ない、してあげられないのに大切にしすぎてしまって、いつも取り返しがつかなくなる。暴力みたいだ。大切にすることは愛だけど、大切にしすぎることは愛じゃない。

嫌な思いをさせないこと、お互いが自由であること、自分と相手の境界線がはっきりしていること、愛には条件が多すぎる。難しい。でも、その条件を増やしてきたのはわたしだ。

どうして人間は大切な人と一緒に暮らそうとするのだろうと思う。一般的に、人間は相手の中の自分の優先度が高いと嬉しくて、低いと悲しい気持ちになる。一緒に過ごす時間が長ければ長いほど、というか、様々な状況で相手と関わるほど、常に自分の優先度が一番なわけじゃないということを知ってしまいませんか。そりゃ仕事が忙しければ仕事の優先度は上がるし、疲れていれば休息の優先度があがるよね。でも世の中の人達はそういう相手を責めたてて「自分を大切にしてくれない!」って怒ってるような気がする。そう見える。それって愛じゃないよ。悲しい。相手を素直に大切にできる時間だけ一緒にいるのじゃだめなのかな?

わたしは、大切な人を傷つけたくないし、傷つきたくない。傷つけてしまったと悲しい思いをさせたくない。だから、少し離れたところから相手のことをみていたいよ。寂しそうだったらそばにいさせてほしいし、1人にしてほしそうだったらその場から離れたいし、相手にもそうして欲しい。そういう愛を、わたしはやりたい。

 

番外編 - 他者なしではしあわせになれない

ひとりでいるのがすきだ。ひとりでいるときは心地が良い。でもその心地良さは、気楽さであって、しあわせじゃない。

しあわせだな、と思うとき、必ずそこには誰かがいる。わたしはいつも誰かにしあわせにしてもらってるし、誰かに何かを捧げることでしあわせを感じてる。わたしひとりじゃしあわせになれない。

なんだってする、なんでもできるようになる、絶対に大切にするし、望むような愛をするから、結婚してくれませんか。